まいどおーきに。
ユキミです。

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HSPがHSCを育てています
はじめから読む


昨日最終回を迎えました。

昨年、2020年11月10日(私の誕生日だった(笑))に書き始めてから約半年間
ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございます。
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実はこれ
「誰に向かって書きたいのか」
が定まらなくてなかなか一歩がでなかった。

HSPを誰かに知ってもらうため、っていってもその誰かってどんな人?

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ありがとうございました。

この話を通じて私が書きたかったこと、伝えたかった方は

・育児が辛いしんどいのは自分のせい!?と思ってる方
・色々気になってどうしても肩の力が抜けない…って方
・回りからの育児アドバイスがうまくいかない…

って方に、実は私これを知って楽になりました…
とソッ…っと差し出したい。
そんな思いです。


あと、既に自分はHSPだったり、子がHSCかも?って気づいてる方に

・HSP、HSCと気づけたのはいいけど回りからの理解が得られない
・パートナー、回りからの子どもへの対応が不十分な気がする


または自分はHSPじゃないって方に

・HSCの我が子への対応がどうしてもうまくできない、それが辛い


後半はこんなことに視点を当てて書きました。

と、なんか長くなりそうなのでここいらで…
おまけの追記。
nagabanashi


HSP、HSCって気づくまで色々山あり谷ありだけど
HSP、HSCって気づいてからも山あり谷ありだよね。

でも、
「どうして回りと何か違うのか」
「なら何者なのか」
これがハッキリ分かるととても生きやすく、そしてより毎日安全快適に過ごせると思う。

「HSP」「HSC」って性格、1つの生まれ持った性質を表す言葉というけど
私は自分を理解し、自分を守る言葉だと思ってる。


実はこの話を書きたかったけど数年温めていた理由に
「HSP、HSCの話は嫌悪されやすい」
ということが第一にあった。

この事実を知った時はおどろいた。
え、何を嫌う要素があるのか!?
私はこんなに助けられたのに!?
パニックである。

そんな事実を知っちゃー、書きたいなと思って自分の頭で膨らんでいた話はどんどんしぼんでいった。

いや、だって誰だって嫌われたくないじゃないか。

では、どうしてHSP、HSCが嫌悪されやすいのかって話ですよ。
ね。

「え!HSPとかHSCって嫌われるの!?何で!?」
と、自分自身にない感覚を知ったきっかけはネットである。

夫からの理解が得られず
「どうして分かってもらえないんや…」
と得意の知恵袋検索をしたところ、チラホラと否定的な意見が潜んでいることを知った。


「HSPがHSCを育てています」の初回プロローグでも話したけど
HSP、HSCを自覚している人はほとんどが自己診断である。

医学用語ではないのでお医者さんから
「あなたは多分HSPですよ」
と言われることはまずない。

そしてこの「自己診断」というところが、他者から嫌悪されてしまうところなんだと思う。
だって「自己診断=自称」になるもんね。

確かに「自称天然」「自称サバサバ」「自称天才!!」などなど…
なんか自称って頭につくと、途端にその次にくる言葉の説得力が薄れる気がする。

人によったら
自称ってことは自分でそう理解してるんだよね?
なら直したらどうか
結局その言葉に甘えている

そう言う人もいるだろう。

でもHSP、HSC、直るもんならとっくになおしている。
気づきたくなくても、気にしたくなくても
どこにもそれを抑えるスイッチが見つからない。

それなのに「自称」という点だけで嫌悪感を示されるのは辛い。

これが医者からお墨付きで「HSPよ」なんて診断されれば、この「自称」という説得力のなさは打破である。
でもHSPやHSCは自己診断の上気づくものなんだから仕方ない。
そもそも病気ではなく、「性格」「性質」なのだからやっぱり自己診断だ。

自己診断。
誰が何と言おうと、診断チェックシートはほぼ満点だし、生活上気になることもたくさんある。
こんなに自分にしっくりくる型を見つけたのに、それが批判されたり嫌がられたりするのは自分を丸ごと否定されている気がしてとても悲しい。

しかし、勢いで私がHSP、HSCを題材に話を書いたところで、それでコメント欄が荒れたりするのも悲しい。
そのコメントを、他の当事者である誰かが読んで自分のことのように傷ついたりするのはもっと悲しい。

じゃあどうしようかな、と思ったところ
この「HSP、HSC」という言葉の矢印を不特定多数の周りではなく、当事者だけに向けてみようと思った。
しんどい、困ってる人だけに気づいてもらえればそれでよいのだ。

それに気づいたのが最後までHSPとHSCを「理解する」ということまでは至らなかった夫の存在である。
分からない人、伝わらない人にはどうしたって「?」な話であるということを知ったよ…。

ということで
HSPという言葉は、他者に自分を理解してもらう言葉ではなく
自分で自分を守る言葉である、と思った。

「私HSPだから~」
なんて、自分を正当化するために他者に使ってはならんぞ!
(多分これを読んでくださってる方におらんと思うが…)

でも、私はちょっと間違えれば息子で同じような過ちを犯していたかもしれない。

HSPは
「自分は人よりもちょっと物事を多く考える癖があるかも」
「思えば人混み苦手かも」
「回りの人の機嫌に左右されやすいかも」
なんて、自覚して自分を守る言葉。

HSCである子どもに対してもまたしかり。

自分で気づき、自分でできる限り転ばぬ先の杖を突く
それが「HSP・HSCを知る意味」なのかな、と思った。

いや、といって他者に「HSPっていうのがあるんだね」と、全然当事者じゃないのに分かってもらえたらとても嬉しい。
でもそれは「HSP、HSCを分かってもらえた!」
って喜びではなく
「私のことを分かってもらえた!」
なんて感覚だと思う。

更に
「こんなことがあるんだね」
なんて耳を傾けてもらえた日にゃ、その優しさと視野の広さにその人にもう一生ついていきたくなる。(重い)


自分を取り巻く&子どもを取り巻く全ての人にHSP・HSCを分かってもらいたい!
となると、きっととてもしんどいものになってしまう。

当事者が気づくこと
なんならおまけで、回りの人が自分のことを知る延長で知ってくれた!

それがHSP、HSCじゃないかな、と思う。

HSP、HSCは自分を守る言葉


なので、私も「ねぇ知ってる?」と某豆の犬のように不特定多数の人に呼び掛けるというよりは
ピンポイントで「ちょいとそこのお困りの方」って気持ちでこの話を書いた。

HSP、HSC
この言葉を知った方が1人でも多く、自分を守る術を見につけられたらいいなぁ、と願っております。

まとまらないことも多々あったかと思います。
ここまで読んでくださり、本当に、ほんっっとうに!ありがとうございました。

では、また明日。
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